2018年2月11日日曜日

新潟日報『おとなプラス』旧守門村・目黒邸の歴史、粟島の年祝い

目黒邸

新潟日報「おとなプラス」に寄稿した記事2本の紹介です。

2017年12月4日付けでは、旧守門村(魚沼市)にある国の重要文化財・目黒邸の歴史について取材させていただきました。目黒邸は江戸期にこの地方の庄屋を務めた目黒家の役宅です。築200年以上たった今も重厚なかやぶき屋根が保存、管理されています。

福島県会津の戦国大名・会津蘆名(あしな)氏に仕えていた目黒家が伊達政宗との戦に敗れて、守門に逃れてきた歴史。その後、庄屋職を務め、明治期には衆院議員として、近郷の近代化に貢献した歴史などを紹介しました。

取材は11月後半。紅葉を残したまま、辺りが雪景色となっていたので、秋から冬へ季節が変わった一枚をと思い、1面のような写真を撮りました。

目黒邸には取材で2度訪ね、2度目に目黒家当主がいまも東京でご健在との話を聞き、紹介していただきました。連絡を取ると、取材を快諾していただき、東京のご自宅にお邪魔してお話を伺うことができました。

取材は文京区某所。この辺りは高台になっているらしく、新宿の高層ビル群に向かって気持ちの良い下り坂がありました。前日はあのビル群のあたりで3,000円弱のカプセルホテルに泊まりました。経費節約という意味もありますが、ごった煮な雰囲気がどうも落ち着くんですよね。

文京区某所

原野の東京はどんな土地だったのでしょうか。

迷子にならないようにと、かなり早めに動いていたので、道中にあった東京カテドラル教会の聖堂で、1時間ほどひとり静かに座りました。

東京カテドラル教会

こういう空間が近所にあるっていいですね。まだ座ってられました。画像検索してみると聖堂の写真がたくさん出てくると思います。

蛇足が続きます。

目黒家のかやぶき屋根の修復を手がけるのは「越乃かやぶき」という会社です。同じく魚沼市須原集落にあります。かやぶき屋根の修復を専門にする会社で、県内外の現場に出かけているそうです。

彌彦神社の末社である十柱神社のかやぶき屋根も手がけたそうです。たまたま今月頭に彌彦神社に参拝に行ったので、写真を撮りました。

一番奥の神社が十柱神社

かやぶき屋根アップ

守門岳にもいつか登ってみたい。今年の豪雪では雪解けは遅くなるかな。
次の記事の紹介に移ります。

粟島の年祝い

2018年1月26日付けでは、粟島の年祝いという行事を取材しました。毎年1月17日、内浦集落で厄年の人の厄払いを行うとともに、還暦や米寿を迎えた人を集落のみなで祝う行事です。

集落の神社で厄払いをした後、通りで駄菓子や小銭がまかれます。集落のおばあちゃんや子どもらが出てきて、わぁ〜! っと大きな歓声が上がった瞬間を1面で使いました。その後、集落のお寺に行って厄払いのお経を上げてもらい、夜は厄年(や還暦、米寿)の人の家で、集落の神楽会によってお祝いの神楽披露がありました。

今年、厄年のひとりだった青柳花子さんは新潟市南区から移住し、ゲストハウス「おむすびのいえ」を経営しています。島の方たちが自分の娘のように祝ってくれているのが印象的でした。

年祝いの日と、後日の補足取材にと、1月中に2度粟島を訪ねました。

以上です。

興味のある記事がありましたら、ぜひ県内のNICまたは新潟日報社に問い合わせて、読んでみてください。また、朝刊と「おとなプラス」を合わせて3,980円/月で購読も可能です。過去に担当した記事の紹介は[こちら]です。

1月、2月と大雪が続いていて、配達スタッフはほんとうに苦労されていることと思います。路面に雪がなくなっても、路肩に残る雪から解け出した水が深夜に凍って、意外なところで滑ったりするもんです。怪我のないよう祈るばかりです。

わたしも取材でお世話になった方に新聞を送りましたが、NIC岩船の方も、粟島の記事が出たからと、粟島にサービス紙をいくつか送ってくれていたようです。また青柳さんの実家がある新潟市南区のNICも娘さんがいる(載っている)粟島の記事が出たよと新聞を届けてくれていたようです。ささやかで、細やかな気配りが新潟日報の部数を支えているんだなとあらためて感じました。

かつての先輩が「おれたちの仕事はな、目配り、気配り、新聞配りらて」と言ってたのを思い出します。